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【名水点て】名水=天然の湧水を使った濃茶点前です
“葉蓋”“洗い茶巾”と同様に、夏になると“名水点”(めいすいだて)という夏らしいお点前が登場します。
席に入った瞬間客は“名水点”であることを知ります。
これは、幣(ぬさ)つきの注連縄(しめなわ)をかけた釣瓶(つるべ)水指と濃茶入が点前座に飾られているから。
水には形がないことからこのような飾りつけにして名水であることを知らしめるのです。
【名水点の準備】
釣瓶の準備として、木地全体を一旦びっしょり濡らしてから拭き、名水を張ります。
注連縄を釣瓶の上の方勝手奥で男結びします。幣を六つ(三対)作り、前後に対象になる形で一対ずつ、左右にひとつずつ(合わせて一対)を縄にはさみます。
【村田陶苑(むらたとうえん)本名 好通(よしみち)】八塔亭二寧(はっとうていにねい) 昭和の名工 京都府出身の陶芸家
1905年明治36年7月6日京都府京都市生まれ
井筒屋の系譜をひく累世陶匠・村田家に長男として生まれる
1917年大正06年 12歳 京都市立一橋尋常小学校卒業。 祖父・永翁(本名・熊治郎)と父・芳仙(2代 永翁本名・鶴吉)から陶工の基礎を学ぶ
1921年大正10年 16歳 日本画科を志し、山元春挙画塾に通い写生技法を学ぶ
1929年昭和04年 24歳 京都陶磁器合資会社に入社
以後、2年勤務し製品見本のデザインに従事する
1936年昭和11年 31歳 父 2代 永翁没。66歳
1938年昭和13年 33歳 京都市東山区清水に転居
1940年昭和15年 35歳 戦時下の統制経済の影響により、燃料入手が困難などから低火度焼成による陶人形の製作をはじめる
雅号を陶苑と名乗る。(後に、苑の草かんむりの下に、わかんむりをいれた字を使用)
1942年昭和17年 37歳 京都市東山区清水の二寧坂近くに居を移し、近くに臨む八坂塔(八坂法観寺)の五重塔にちなんで、八塔亭二寧と称した。
このころから戦時下で物資の不足がはじまり、素焼きに彩色を施した陶人形(東山人形)などの制作を始める。
1943年昭和18年 38歳 第一回工芸技術保存作家の認定を受ける
2002年平成14年12月5日歿
京都府出身の陶芸家。勲六等単光旭日章受賞
1971年昭和49年 69歳の時、昭和の名工を授かる
京焼の伝統技法を駆使し、独壇場とまで言われた陶彫技術で低火度焼成による陶人形(東山人形)などを制作。
中国や日本の古典、能などからモチーフを得て、独特の世界観をもつ作品を生み出した
【陶苑語録】
村田敏光(2代 村田陶苑)編の陶苑語録では、これまでの様々なエピソードが収録。陶苑の人となりが伺える。
以下の引用は、『村田陶苑 都びとの美意識が生んだ匠の技』より。
「人や動物を描いたり、立体を作るときは、骨格・筋肉がどうなっているか、鳥の羽がどういう構造になっているのか、とかを十分知っていないと物にならない」と語り、作品や絵などを見て「この鳥はとべない」と断言したこともあった。
「私は職人ですよ。なんやら作家活動とか、作品とかいう言葉を聞くと歯が浮いてしゃあないんですわ。もっと気ィを楽に、気ままに、体と手を動かしてたらものになってるというだけ」
サイズ:約直径12.6×7.9cm
作者:村田陶苑作
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村田陶苑についてはモバイルの方は商品説明をもっと見る参照
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箱:木箱
備考:在庫ありの場合(注文日~3日以内の発送可能)